Tue

08

Jul

2014

作家 神原将さんインタビュー:「原発引っ越し」した移住者の物語『HOME』に映る、「避難」という新しい人生の選択 Vol.2

「男性は今回の件で、できるだけ責任を持とうとしない人が多かったように思います。逆に、責任を進んでもとうとしたのは女性(母親)でした」

Photo: Shou Kamihara   311避難直後の家族の様子。安心してやっと笑みが出た。放射能をいくらかぶってもいいように捨てる前提で着古しの服を着ている。
Photo: Shou Kamihara 311避難直後の家族の様子。安心してやっと笑みが出た。放射能をいくらかぶってもいいように捨てる前提で着古しの服を着ている。
Vol.1 より続く
 
W:『HOME』のなかに、一つだけ、避難したお母さんが福岡から東京に戻る話がありますね(第9話、『ワインとチーズ』)。被災地や放射能汚染地から逃げて行くほかの9編とは逆方向の話で、大変興味深く読みました。海外赴任する夫は避難をサポートしているのですが、あえて物質的に恵まれた選択肢の多い都会的な生活に戻って行く「わたし」の話です。
避難して放射能にも気をつけて、さらに食の安全にも気をつけて生きて行くことは正しいけれども、そこに疲れてしまうお母さんの苦悩がよくわかりました。実際にこういうケースも多いのでしょうか。
 
か:この経緯は、書く必要があると思いました。現実にこうした選択をした家族がいるからです。また、その気持ちは決して後ろ向きなわけではなく、この数年避難生活をしてきたなかで、選択のひとつとしてとった行動です。 
2011年からつながりのある避難家族のなかでも、この選択をした方が数組います。僕個人の感想をいえば、未だ放射能が降る東日本に戻って、子供を含めて家族の健康を維持しながら生活をするのは、難しいと思います。少なくともゴミ焼却場や下水道の汚泥から放射能が測定されなくなって、そこからやっと地上の放射能が少なくなったと判断がついて、東日本に戻れるかもしれないと希望を抱くこともできそうです。 
家族が離ればなれで避難生活を続けることの苦悩、本来は人生設計としてもっていた東日本の(元の場所の)生活への愛着。それらがせめぎ合い、その上での決断です。
放射能防護の視点から言えば、難しいだろうと思いますが、しかし「生き方」という点では、このまま避難生活を続けることのほうに苦しさを感じているのは確かでした。おそらくきっと、家族が揃って避難生活ができていれば、また少し違ったかもしれません。
 
W:『ワインとチーズ』の主人公の「わたし」は、生き方の選択として東京に戻りました。別の短篇『鼻血と愛』では、埼玉の寺で福島からの保養の受け入れをしている母親が主人公です。汚染地で娘を育てることに疑問を抱きながらも家業があるため逃げることが出来ません福島ほか汚染のある地域で、不安に苛まれながらも様々な理由から土地を離れられない人たちの姿と重なります。
 
神原さんがまとめた避難者のインタビュー集(全6集発行)には、親戚を残し、家を売り、経営していた店をたたみ、職や学校を変える等の相当の困難を伴って移住する方々の話がたくさん載ってますね。一人一人事情が違って、それぞれに大変ということがわかります。同じ放射能影響下でも、移住する人としない人は何が違うんでしょうか。言い換えれば、移住や避難する人、避難を継続する人に共通してるものってあるのでしょうか。
 
か:現実感の違いでしょうか。「災厄が起こる」と想定することの難しさがそこにはあると思います。災厄を予防するためには、災厄を想定したり、想像したりして、それの防止に努めるわけですが、どこまでを本当に起こり得るものと捉えるのか、が避難する人、続ける人、しない人、途中で戻る人によって、違っているのだと思います。
 
「まさかそんなことは起こらない」と、はなから過小評価する人は、避難するかどうかさえ、検討しないで今日に至っているでしょう(情報不足によって、そうした検討ができない方々も高齢者にはとくに多く見られるようですが) 
「今の状況を放置してしまえば、きっと自分や家族の身に問題が起こる」と思った人は、早々に避難をしたり、未だに避難を続けているのだと思います。 
311を受けて、避難するか否かの核心部分なので、もっと良い言葉の選び方もあるかもしれませんが、今のところは、上のように言えるのかなと思います。
 
W:それは想像力、それも極力悪いことを想像する力なのかもしれませんね。最悪を想定しないと予防できませんから・・・。
 
か:破滅論的なイメージをもっていなければ、なかなか到達できないかもしれません。しかし、この場合の破滅論は必ずしも破滅したほうが幸福といった思想ではなくて、破滅はあるのだから、そうならないようにしなければといった、抵抗するために知る破滅への道のりです。
Photo: Shou Kamihara  311事故が起こるちょうど一年前。世田谷での長女の入園式での写真。このままここで暮らしていくものと思っていました.
Photo: Shou Kamihara 311事故が起こるちょうど一年前。世田谷での長女の入園式での写真。このままここで暮らしていくものと思っていました.

W:『HOME』では、10編のうち7編の主人公が女性ですが、これはどうしてなんでしょうか。神原さんご自身は男性なんですが、あえて女性を主人公にすることにはどういう意味があるのでしょうか。

 

か:意図的なものはまったくなくて、311避難についてやりとりを重ねたのは、ほとんどが女性でした。男性の比率が極端に低いのです。

また男性の避難者と顔をあわす機会があっても、なかなか心の内を話してくれるまでには至りにくく、結果として、このような構成になってしまっています。

こうしたことは『原発引っ越し』や『HOME』を手にしてくれる方の9割が女性で、1割が男性というところにも現れているように思います。

 

W:避難者でインタビューした人が女性の方が多いというだけではなくて、避難に関する物語を読みたい人たちも圧倒的に女性ということですか。それは面白いですね。神原さんは自費出版で本の発送もご自分でやっておられるので、実感ありますね。女性の方が胸の内を話すことに抵抗がないのでしょうか。

 

か:僕の勝手な個人的な見解ですが、おそらくこのことは、3.11後の僕らの社会環境を考えるテーマのひとつにもなり得ると思っています。

つまり、女性の気持ちと行動、男性の気持ちの行動を分析する必要があるということです。

僕との接点でいうと、男性は今回の件で、できるだけ責任を持とうとしない人が多かったように思います。逆に、責任を進んでもとうとしたのは女性(母親)でした。

この責任は、見えない出来事や放射能、今後再び起こるかもしれない災厄に対して、見えない(予測できない)から、見えないものを怖がるのはみっともないとしやすい男性と、見えないからこそ、何かが起こる前に予防しておこなければならないと覚悟を決めた女性とに、区分できるように思います。

そして、同じ気持ちを抱く人の気持ちや声に耳を傾けよう、手を差し伸べたいと思ったのは女性が圧倒的に多かったのです。

 

僕にとってみると、女性はもう少しクールなのかな?と感じてきた経緯もあったので、このことは当初驚きがありました。また男性は一家の大黒柱となる人も多いので、こうした災厄に対しては男性としての力強さ、心強さをいかんなく発揮しそうな気がしていました。しかし、そのどちらも逆で、かえって女性のほうが力強く、男性は殻に引きこもってしまったかのようになってしまいました。

 

W:日本は父権的な社会というイメージがあるので、それは意外ですね。別の短篇では、不登校引きこもりの男の子の話がありますね。東京に住む福島出身の家族は放射能を気にしない。自分はそんな家族のことが理解できない。若い人、高校生や中学生などのティーンが3.11後に何を思って生きているのか、大人は意外に知らないように思います。神原さんはたくさんの家族に会ってきたので、若い人と話をすることも多かったと思うのですが、3.11が若い世代にもたらした影響というのは感じたことがありますか。

 

か:若い世代の意見や気持ちを聞く大きな機会が2度ありました。1つはある広域団体が主体となって、制作された福島県相馬の中学校の生徒の震災についての感想文をまとめた冊子。もう1つは広島県修道大学で特別講師をさせていただいた授業での大学生たちの様子です。

結論からいえば、どんなふうに今回の原発事故を受け止めていいのか、分からない子たちが多かった印象を持ちました。

 

津波の影響、不安については語れるのですが、原発事故について触れられる子、語れる子が少なく、若い世代に対する情報過疎が否めない状況でした。これはあきらかに、学校や大学、新聞、テレビなどの報道に責任があると僕は思っています。災害時、事故時には団体行動が求められる機関ですから、本来なら起きたこと、起きていることをきちんと伝え、危機意識を個々人にもってもらう必要があるかと思います。しかし、それがなされていない印象がありました。

 

HOMEに描かれた少年の場合、引きこもっていることで外界との接点がインターネットということがあったこと、その中で起きている事件や事故について個人的な関心が高かったこともあって(もちろんお父さんの田舎が福島で野菜やお米が送られてくるという経緯もありました)「これから僕はどうなってしまうんだろう」という疑問を元に、情報収集を続けた、ことで自分がおかれている状況を知ることが出来たのだと思います。

 

Photo: Shou Kamihara  引っ越し後の呉での神原家のキッチン周りの風景。
Photo: Shou Kamihara 引っ越し後の呉での神原家のキッチン周りの風景。

W:若者が何を考えてよいのかわからない、というのは重要な視点ですね。情報過疎とおっしゃいましたが、若者は年配の人間に比べて圧倒的にネットなどを利用する機会が多いですよね。そういう情報量はあまり関係ないということでしょうか。

たとえば、災害時などには「情報がないこと」が選択を誤ったり、行動を制限する理由になったりします。原発事故のあとも、「情報がないこと」が強調されて、「正確な情報」があれば様々な判断がうまくいくかのようなイメージがあると思うんです。ネットを使いこなせる若者は、そういう情報を得やすい立場にあるのではないでしょうか?

 

か: 若い世代は、産まれながらにしてインターネットが整備されているわけですが、しかし、「どの情報を得たいと思うのか」という部分で、原発事故について情報収集をする若い世代が少ないという印象をもちました。原発事故にそもそも関心がなければその情報を探すことはしないでしょうし、テレビや新聞で、「事故は収束した」かのような報道があれば、そのことを鵜呑みにしてしまいやすいでしょう。検証したり精査したりする習慣や技術がほぼないからだと思います。 

 

僕の今回の『HOME』にしても、それを手にとるまでが大きなハードルですが、手にとってからも、書かれている内容をきちんと読みとれるか、読みとったあとに、自分の知恵や経験のひとつとして収得出来るのか、というようにいくつかの能力を試される段階であります。その段階を自発的に超えていかなければ、いくらネットが整備されていても、詳しい情報の書かれた本が目の前の本棚にあっても、それにピンポイントで手をのばすことは難しいのでしょう。

 

W:考えてみたら、大人もどうしていいかわからない状況ですから、若い世代なら、なおさらかもしれないですね。原発事故は、じつは若い世代にこそ大きな影響があるのですが。

 

さて、『HOME』のどの話にも共通して感じるのが、「守りたい」という強い力です。守る対象は子ども、配偶者、そして自分自身といろいろなんですが、根底にあるのは「生きることを守り抜く」という決意ですよね。これは神原さんがインタビューした多くの人々に共通する気持ちなんでしょうか。原発事故のことを知れば知るほど過酷であるというか、ほとんど希望のないような状況にも思えます。

 

 か:「やっと生きることと向かいあった」というのが近い表現でしょうか。

日本人は、大戦後、苦しい思いをしながらも復興をして、高度経済成長という言葉や雰囲気に乗って、あっという間に大戦の面影が消えてしまうほど、環境が変化したように思います。そんななかで、この物語に登場する、取材をした家族らは、なんとなくやってても生きて来られた世代なんだと思います。

しかし、そのなんとなくが、巨大地震、世界にも類をみない大津波、そして原子炉4基が連続して被害を被るという未曾有の大事故を目の当たりにしました。そのことによって、「ありえない」と思っていたまるでSFのような世界は、実際に身の上に起こると感じたのではないでしょうか。

 

3つの大きな災厄な出来事があって、それでもなんとか命が繋がった人たちのなかで、意識が開いた人が出たのだと思います。その反面で、意識を堅く閉ざす人も出ました。少なくとも今度再び3つの大きな災厄が起きるとすれば、それから身を守りたいと敏感に反応した人が、避難を選択できたのでしょう。そういった気持ちが、物語にも現れているのだと思います。

 

W:避難した方々は、まさに新しい人生を歩んでいるわけですね。神原さんもまた、東京からの避難移住者としての生活のを基盤に、ゴーストライターとしての過去の作品とは違った種類の作品を発表しています、これも新しい「開かれた意識」の表れなんでしょうか。最後の質問として、今後の作品発表の予定、目標などを教えてください。

 

か:一度原稿を出版社に納品しましたが、全編書き直しとなっている作品があります。311避難者を取材対象とした、311後の希望のある暮らし方についての本です。

それから今年は放射能汚染地域に暮らしながら、子どもや家族の健康を考えて、汚染の低い地域に保養に出ている家族への取材を行って、それも本にする予定です。それに関連して、おそらく『HOME』の続編を一冊の本にすると思います。これは、まだ書き足りていない避難者家族がありますので、記録として書き残しておく必要があると思ってのことです。この本もおそらく10家族くらいの経験をまとめると思います。

311以外では、僕自身が幼い頃、祖母と一緒に暮らした沖縄県石垣島での出来事をまとめた文学小説があります。こちらはほぼ完成した状態です。

 

また新規に取材をして書きたいと思っているのは、311後に引っ越して来た呉市を中心とした100年ほど昔の瀬戸内の物語です。これは物質主義に陥ってしまい第二次世界大戦へと走り出したかつての日本の姿を描きます。瀬戸内の豊かな恵みとは好対照に、海軍の拠点を置き鋼鉄を国中から集め、巨大戦艦の製造へと進み、しかし大敗した様子が、原発に偏重し、原発事故に至ってしまった現在の日本の経緯と重ねてみようと思っています。

戦艦大和を作ったのも呉でしたが、福島第一原発の原子炉を作ったのも呉なんです。

 

さ:原発避難者に関する本、沖縄の本、呉の物語と目白押しですね。呉の巨大戦艦製造の物語は大変興味深いです。歴史は繋がっているんですね。今後のご活躍に期待しています!

 

(終)

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神原氏の著作は以下のサイトより通信販売または電子書籍としてダウンロードできます

神原将 著作通販サイト:http://shou-kamihara.simdif.com/index.html 
 
「HOME」電子版はアマゾンでも購入できます
 
子ども世界ネットワークサイト内の神原氏の記事はこちら
Photo: Shou Kamihara   女子畑(おなごばた)のお祭り「とんど」の飾り
Photo: Shou Kamihara  女子畑(おなごばた)のお祭り「とんど」の飾り

(インタビュアー:WNSCRスタッフのSatoko。写真と写真のコメントはは全て神原将氏による)

 

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