作家 神原将さんインタビュー:「原発引っ越し」した移住者の物語『HOME』に映る、「避難」という新しい人生の選択 Vol.1

「巨大地震、大津波、原発事故という3つの大きな災厄な出来事があって、それでもなんとか命が繋がった人たちのなかで、意識が開いた人が出たのだと思います」

Photo: Shou Kamihara. 取材先に向かうためのフェリーより、瀬戸内海を望む。
Photo: Shou Kamihara. 取材先に向かうためのフェリーより、瀬戸内海を望む。

「子どもたち放射能からを守る世界ネットワーク」では、以前、作家の神原将氏の私小説『原発引っ越し』を紹介しました(過去の記事はこちら)。『原発引っ越し』は、原発事故で放射能が降り注いだ東京を脱出し、西日本の地で新しい生活を始める家族を描いた筆者自身の物語です。福島ではなく首都東京からの脱出がテーマのため、出版に前向きな出版社が見つからず、結果的に自費出版という形で発表されました。あれから2年。神原氏は今年5月、今まで出会った「原発引っ越し」した人々の物語をまとめた短編集『HOME』を完成させました。神原氏が広島移住後にまとめた『移住者の声 HOME』という避難移住者のインタビュー集(全6集)に収録した創作短篇に、書き下ろし作品を加えた短編集です。

 

子ども世界ネットワークでは、神原氏の最新作についてメールにてインタビューを行い、作品が生まれた背景、避難移住者へのインタビューを行っての感想などについて伺いました。

 

 

 

 

私は愛したい。私は執着したいのだ。

フェリーは進む。波に乗って前に前にと。気がつけば、甲板の上は避難ママたちでいっぱいになっていて、手と手をとりあっていた。そして橋の上に、主人の姿があった。照れたような、困ったような表情はしているけれど、手をふっている。私も手を振ってそれに応える。苦しくたっていい。これでいいのだと自分に言い聞かせる。

 

(神原将『HOME』収録『鼻血と愛』より)

 

WNSCR:  前作の『原発引っ越し』は、本のタイトルからしてとても印象的なものでした。内容も、3.11の原発事故をきっかけに引っ越しをするという決断、そしてそこに至る葛藤や準備等の困難を描いていて画期的だと思います。最終的に引っ越しして新しい土地に落ち着いたことで、原発事故と放射能というネガティブな現状のなかにあるポジティブな面を感じました。
 
神原:『原発引っ越し』は、我が家の物語でした。読んだ人のなかには、神原家の特別なケースとしてとらえる方もいらっしゃると思いました。原発引っ越しを書いたあとに311避難者に取材をすすめたなかで、この人の経験も、広く伝えてあげられたら、背中をおされる方もいるだろうと思う家族がいました。そうした方々のことを短編にまとめ、一冊にしたのです。
 
家庭それぞれの抱える問題を知って、自分はどうするのだろうとか、自分と同じ悩みをもってる人がいたとか、そういう感じ方があればいいなと期待しています。
 
W:神原さんは100人以上の避難者にインタビューされたそうですが、『HOME』に収められた10の短編は、10人の避難者の個人的な話をそれぞれまとめたものなんですか?それとも特定の話というより、いろんな方のエピソードをまとめてお話を作ったんでしょうか。
 
 
基本的には、ひと家族から取材したものを一話ごとに書き上げていますが、話をきいた状況が、ほかの家族と似ていたり、住んでいた地域は別でも、ほぼ同じ経過を辿って避難している家族もありました。
 
僕の取材は一風変わっていて(と取材の時によく言われるのですが)テーマとなる質問の数は少なくて、日常的な会話とか、ほかの関心事などに時間をかけることが多くあります。取材をされた家族や個人が、どんな思考の傾向になるのか、どんな好みなのか、信条、ポリシーなどをそこから読みとって、作品を書くときの主人公の心情描写に活かしています。
 
また話していただいた内容には、書いたこと以上の経験をされていたり、もっと多くの気持ちを話されていることもありますが、僕個人が相対した時に、この部分を抜き出して書き残したいと思ったところを中心にしています。
 
『ノドグロと苺』も、話を聞いた内容はもっと別の、お孫さんの学校の出来事や引っ越しさせにくいペットの話題が時間の多くを使っていましたが、作品に書き残したのは、避難中の様子、遠い親戚との距離感、新天地で人々の優しさに触れたことなどでした。
W:なるほど。どれも「私」が主人公ですが、それまでの人生や生活がにじみ出ていてそれぞれにリアルですよね。100人以上にインタビューするにはずいぶん時間がかかったのではないでしょうか。また、どうやってそんなにたくさんの人たちを見つけたんですか。
 
か:声をかけるのにはTwitterが役だったことと、広島をはじめ、島根、岡山、福岡、大分、徳島、高知といった地域で支援活動をされている個人・団体の協力があって取材が実現しました。
 
一人称にしているのは、個人の想いや経験をその人の心の内側に入り込んで実感するのに、もっとも適した文体だと思っています。また主人公の「私」の名前を知らないまま物語が最後まで進むことも多く、読者と主人公の差をなくしたり、不安定な状態を維持することで主人公のおかれた状況のストレスを感じやすくしたり、意図的にこうした書き方をしています。
 
W:インターネットを通して神原さんとほかの避難者の方々がつながったわけですね。神原さんは現在広島県に居られるので、インタビューした方々も西日本に避難したケースが多いのですね。一般的には、関東や首都圏からの避難というのはあまり注目されていないようですが、『HOME』では、東京や首都圏から逃げた人たちが多いです。実際にインタビューした方々も首都圏からの避難は多いのでしょうか。
 
意図したわけではありませんが、半分くらいが関東の方になりました。
 
例えば福島からの避難者は、避難したといっても、同じ福島県内や隣の山形、また埼玉、千葉、東京への避難者が多いのだと思います。東日本から脱していない避難者がいるために、自然と関東から出た避難者の割合が多くなってしまっているのでしょう。
 
W:自主避難者の困難、とくに孤独感・疎外感や経済的な困窮などがニュースになることがあります。特に片親だけの避難者の場合、知人親戚のいない土地で暮して行くのはかなり大変なのではないかと想像します。『HOME』では、短篇10編のうち、3編が母子避難の話です。どれも劣等感や焦燥感、生活の変化への戸惑いなどを抱えてギリギリのところで頑張っているお母さんたちの話でした。一方、家族が皆で避難した、またはそうする予定の家庭を主人公にした短篇では、経済的にはつらくとも少なくとも家族がバラバラになる不安定さがないように思えました。作品に表れたこれらの描写は、実際に神原さんが会って話をした方々の現状をおおむね反映しているのでしょうか。
 
か:家族で一緒に避難や移住をしていると頼りにできる人がそばにいるので、気持ちもいくらかは前向きになれているようです。しかしまた母子避難でも、夫婦や家族が理解のある中で二重生活になっている場合には、お互いが支えとなっているようでした。理解のない中での母子避難が頼りになる人がおらず、相談もできず、大変心細いなかを暮らしているようです。
 
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Vol.2 に続く
Photo:Shou Kamihara  移住先の広島県にて。原発事故で意識が高まり、健康のため無農薬での稲作。雑草がたくさん生えます。手で雑草を抜いている様子。
Photo:Shou Kamihara  移住先の広島県にて。原発事故で意識が高まり、健康のため無農薬での稲作。雑草がたくさん生えます。手で雑草を抜いている様子。
Photo: Shou Kamihara   移住親子で収穫した野菜を洗っています。収穫したお米や野菜はみんなでシェアします。
Photo: Shou Kamihara  移住親子で収穫した野菜を洗っています。収穫したお米や野菜はみんなでシェアします。
Photo: Shou Kamihara  避難仲間と地元支援者で行っている「311避難者自給プロジェクト」で田畑をさせてもらっている女子畑(おなごばた)のお祭り「とんど」。とんどに火をつけ燃やし、一年の豊作の祈願、無病息災を祈ります。
Photo: Shou Kamihara  避難仲間と地元支援者で行っている「311避難者自給プロジェクト」で田畑をさせてもらっている女子畑(おなごばた)のお祭り「とんど」。とんどに火をつけ燃やし、一年の豊作の祈願、無病息災を祈ります。

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