おたずねポスト番外アメリカ編:福島とアメリカを結ぶ原発難民 西山千嘉子氏のアメリカ訪問記

西山氏と市民団体メンバー
西山氏と市民団体メンバー

 

チェルノブイリと福島を結ぶ「おたずねポスト」。今回は番外編として、福子ども世界ネットワークの国分が、原発事故により村民避難の対象となった福島県川内村の元村会議員、西山千嘉子氏のアメリカの講演ツアーの様子と西山氏へのインタビューのまとめを報告します。東部在住の子どもの世界ネットワークのメンバーほか、多くの団体や個人が西山氏のアメリカ滞在のホスト先となったり現地での行動の手助け/応援をしています。

 

英語版の報告はこちら (パート1、パート2)。

ヴァーモントヤンキー原発の風下の住民から歓迎!

 

川内村は福島第一原発から南西20数キロに位置している。一連の爆発の後、全村が避難した。元村議の西山氏の今回の訪問は、ヴァーモントの人が思いついた名案から生まれた。


ヴァーモント州にあるヤンキー原発は、福島第一原発と同じGEのマークI型の原子炉を持つが、これを廃炉にする活動を精力的に続けているSafe&Greenキャンペーンという地元グループは、今年3.11の二年後を迎え、ある試みを行った。ヤンキー原発と各市町村の距離を元に、福島第一原発周辺の自治体を選び、その町を姉妹都市として、その町に原発事故後起こったことをネットなどで調べつくすということであった。そして、その姉妹都市に、メッセージを書いた。マサチューセッツのグリーンフィールドという町が、川内村を選んだ。メッセージの送り先として西山氏が決まった際、西山氏が、そんなすばらしい贈り物なら直接受け取りたいということで渡米が実現した。


米国北東部での講演ツアー

5月よりここ一ヶ月、西山氏は、ヴァーモント、マサチューセッツ、メインそしてニューヨークで原発難民としての経験を共有してきた。(彼女の講演内容は、ピースウォークのサイトで読むことができる。)また、ヴァーモント在住の福島出身のこどもを放射能から守る世界ネットワークのメンバーとインタビューを行った。以下は、その要旨である。

原発事故前と後の川内村

西山氏が生まれ故郷の川内村に戻ったのは1994年。田舎は子育て環境にも良いと、Uターンを決めていた。当時は東電関係の送電線鉄塔の建設を巡って利権争いの只中にあったようだ。

これに関連して、翌年、翌々年の議会選挙と村長選挙に見られた不正には、驚きの連続だった。さらに、恐らく原発立地町村への交付金によって建てられる予定の小学校は、少子化に向かう傾向にあったにもかかわらず、広く豪奢で、小学校建設はかなり問題になっていた。が、それは、利権がらみであったことが後になってわかった。

 

人口3000人に対し、議員数は12名、そして職員数は約90名。委託や臨時職員を含めばかなりの人数になり、職員採用は選挙に利用されていたことは公然の秘密となっていた。このような村の地域社会背景が子育て環境に良いわけがなく、オンブズマンなどの地域社会の活動を始め、ついに2007年、「議会改革」「税金の無駄遣いを無くす」と公約を掲げ、村の議会議員に当選を果たした。そして、職員採用の問題を一般質問したが、それに対し懲罰が科せられた。それを発端に、4年の任期中になんと5回の懲罰が科せられた。辞職勧告が2回あった。そして議員二期目の立候補の準備中、あの東日本大震災が起きた。

 

村内に放射能の危険が初めて知らされたのは、一連の爆発があった後の15日。午前11時には、「屋内退避」。その日の夕方には、住民に自主避難の勧告がなされた。次の日早朝、受け入れ先が郡山に決まり、残りの住民は村のバスで郡山に避難した。これは後になってわかったが、避難先の郡山市の方が、福島第一より遠いにもかかわらず、川内より線量が高かった。西山氏は最初から県外避難を訴えてきたが、昨年1月31日に、村長は、避難区域としは初めて、帰村を宣言した。今でも事故収束もしておらず、放射能は飛散し続いて、4号機の危機的状況が続いているが、当時もそうした状況下での帰村宣言、そして小学校中学校の再開。この在ってはならない事態に、西山氏は村長選挙に立候補を決めた。その立候補は、国と県、そして東電と言う癒着した大きな組織に立ち向かうことを意味した。獲得した票は、79票という結果だった。現在帰村した人は20%に満たないというが、原発の引き続く危険性や、将来の悲惨な健康被害を理解している住民は少ないとみている。

 

事故前は, 村から原発作業員として働いていた人は、300人から400人はいたと言われている。下請け、孫請けなどであったが, 一応は勤務先としてエリートの部類に入っていた。今でも事故現場で作業している人は多いようだ。作業員が事故収束の厳しさは把握できていると思うが, 東電に世話になってきたという意識が強い。事故発生時、知人の若い息子さんが現場で収束作業にあたった。自分たちが何とかしなければ、と言う使命感に似たようなものであったようだ。そのことに関しては、全世界の人たちが感謝に値する行為だが、未来のある若者が原発事故収束をしているこの現状が、このままでいいはずがない。

 

西山氏の20代前半の息子さんは、消防士である。人の命を救い、村のために働こうと一生懸命である。県内に残ることの危険性を伝えたが、新規採用消防士として、国と県の福島安全教育を刷り込まれた。しかし、川内で彼を必要としている村民を見捨てて避難しろとは言えない。政治や経済の仕組みがどう働き、働かないのかを理解するには、まだ若すぎると思う。彼が自分なりに発見し、学んでいくしかないと思っている。彼の人生である。簡単な答えはない。

 

現場で危険な作業をしている人や、息子さんのような若い人たちが結局は犠牲になる。西山氏は、政治が変わらない限り、若い人たちを救うのは困難だと語った。

 


ありすぎる情報格差

西山千香子氏
西山千香子氏

国や県は、お金を使い、安全、復興キャンペーンを推進している。放射能から一時的にでも逃すため、こどもを保養に出す必要性を感じなくなってきている親も福島には多い。福島の中では、ネットなどで放射能に関する情報を得ている人と、(インターネットを使っている人の割合は、福島では3割と言われている。)そうでない人との情報格差があまりにも大きすぎると西山氏は述べる。放射能による健康被害の可能性を十分調べることなくして、福島に残っている多くの県民の将来を西山氏は心配する。しかし、同時に、情報を持っていても、福島で希望を見出すのは難しい状況にある。

 

原発マネーへの依存

放射能から健康を守っていくためには、多くの人の意識を変えるだけでは不十分なことがわかる。それは、毎日の生活の糧に関わってくる経済上の問題でもあるからだ。直接的にも間接的にも、原発関係の広範囲に渡る利権構造の中で、その裾野で、職を得ている人が多い。

 

2011年10月に、双葉郡議員向けの除染の説明会に出た。各ステップが、特定の利権に結びついていると思った。福島の農業用地等の除染にセシウムを吸着するゼオライトが使われているが、この例ひとつをとっても、その供給は利権なのである。国や県は、こうした利権で動いている。それは、事故前も後も変わっていない。これまで除染のために一兆円の国家予算が使われたと言われている。福島の自治体の90%が、除染後の放射線量の目標値を設定することなく、契約書を結んでいることがわかっている(NHK ニュース、2013年6月14日)。彼らは事故からの責任逃れ、賠償責任逃れが先で、福島県民のことなどどうでもよく、放射能の健康被害の研究データの情報元ぐらいにしか思っていなにのではないか、と西山氏は語る。

 


核のゴミ捨て場となる故郷

川内村で、地元のコンビニが外からの企業に買い取られた。似たようなことが、郡山でも起こっている。事故から2年過ぎた今でも、高濃度の放射性廃棄物用の中間貯蔵施設を建設するための場所は決まっていない。国は、今だに福島第一近隣の自治体と交渉中であり、土壌調査を進めえいる段階である。その中に川内村は入っていないが、将来、放射性廃棄物の貯蔵場所として高値で売ることを見込んで、汚染されて誰にも売れない土地を安く買い上げる動きがあるのではないかと、西山氏は憶測をめぐらす。故郷が、核のごみ捨て場になってしまうのなら、先ずは住民を安全な県外に避難させるべきだと主張する。

 


体制を変えるために、福島からアメリカと横の連携

こちらに来て、ヴァーモントやマサチューセッツの脱原発の活動をしている人々に会い、各原発を巡り、直面する問題や事情は同じであることがわかった。原発を推進する政府の政策や企業のやり方にはかわりがなく、福島だけで済む問題ではないこととがはっきりした。これは、世界全体の問題なのである。だから、尚更今回、こうして彼らと繋がれたことは大きかったと思う。今の日本の政府に福島を救ってくれる期待はない。だから、アメリカの、世界の活動家、支援者と横のつながりを強め、立ちはだかるシステムに風穴をあけることができないかと考えている。日本はアメリカを見て動く。アメリカの原子力政策がどうなるかは、日本に大きな影響力がある。

 

ヴァーモントの州議員や、赤十字の事務所の代表者が、避難の経緯を含め、今回の自分の話を熱心に聴いてくれたことはありがたかった。似たようなかたちで、福島、日本と横のつながりが、医者同士でできたりすればいいと思う。

 


戦争がなくならないと、原発はなくならない。

 

日本語で被爆という言葉は、原子爆弾の犠牲者になることを意味するが、今福島の人が強要されている放射能による害を受けることも意味する。この言葉は、今日本のメディアではタブーである。脱原発はOKなのだが。西山氏は、きっぱり言う。戦争と核兵器がなくならない限り、原発はなくならない。

 

汚染された日本から若者を救うため、世界の英知を集める。あるいは海外移住にも協力してくれる人々から助けを借りる。世界のみんなと繋がり、世界から原発を無くす大きな流れに貢献していけるよう、これからも活動していくつもりである。西山氏のモットーは、”ONE WORLD、 NO    現場で働く、除染いう人、その理由は様々だがMORE  WAR、 NO  MORE FUKUSHIMA” である。戦争のない平和な世界をつくる、今がそのチャンスかもしれない。

 

西山氏を待ち受けている日本の政治情勢は、やさしいものでは到底ない。先月、原発立地自治体の23の首長会合があった。原発が止まったままの時間が長引くにつれて、地元の経済状況が悪化していることが一番の懸念事項である。政府に再稼動を認めるよう求める首長が数名いた(福島民報、2013年5月13日)。日本の原子力規制委員会は、原発を運転するための規制基準を新たに発表したばかりだ。この新基準に基づき、六基の原子炉が再稼動の申請をすることが見込まれている。

 

                        

子ども世界ネットワーク 國分圭子、ヴァーモント、USA

 

おたずねポスト バックナンバーはこちら

Write a comment

Comments: 0